
この時児相の担当官に早く子供を預けてほしいと頼みました。それからは事あるごとに「はがき」作戦で児相に対して、名前を覚えてもらう方法をとりました。新聞、ラジオなどで捨て子がと報道されると、あの子を家にと言った具合に懲りもせず、ハガキを出したものです。
何度目かのハガキの返事に、生後50日位の女の子どうかとTELで連絡があり、相談してからと即答を避けたのは、実子と余り年齢差を付けたくなかった理由から希望の里子は4,5歳の女の子だったので。そこへO歳の女の子。それでも話し合いの結果、待ってでも今までのように、2年経ってもなかったら、O歳の子も2歳になるからと言ったら、「面倒見るのは俺ではない」「おまえだから、おまえがそれでいいのなら」と言うことで受け入れることに決め返事をすると、後日、児相の担当官が家庭訪問となり、こちらの考え、受け入れ体制など具体的な話し合いになりました。
多分決定するだろうと言われた日が、その頃、石積みの倉庫を建造中で、石屋さんが積み終って引き揚げる日だったのも、何んかの縁で石倉に子宝が入るから是非家へ来るよう助言して下さいと頼んだものでした。
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